創業慶応年間 神戸の石材屋 石福石材です。
今回はお墓の種類や形について分かりやすくお伝えしたいと思います。
お墓を建てる際に深くこだわりたいという方などは是非ご参考にしてください。
【石福が教えるお墓の種類と形について】
お墓の種類は大きく分けて6種類が基本的です。
一般的な和型・洋型だけではなく、最近では意匠にでアレンジを加えたデザイン墓石などもあります。
五輪塔、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、宝塔・多宝塔、無縫塔までは変形するとそれぞれの意味がなくなってしまうので、基本型を変形させているものはあまりありません。
神道墓の形は比較的に自由なので色々な形があります。
お墓の形は、地方・地域によって違いがあります。
江戸時代の幕藩体制により地域が分離された時からその地域性がお墓の形にも表れていました。その地域の伝統的な形を残しているものと思われます。
和型墓石について
この型の墓石が普及し始めるのは、江戸時代に入ってからです。
源流は中国の位牌型のものが伝えられた時に始まりますが、主流を占めるようになったのは江戸時代も後期になってからになります。
したがってこの和型は比較的に新しい型なのです。
明治・大正・昭和はこの型が圧倒的に多くなり、特に加工機械の発達もあって、それに拍車をかけました。
和型にも更に色んな型がある!?
和型墓石の中にも多くの種類があるので、簡易的にご紹介致します。
- 角柱型:最も一般的な型。頭部の造りが地方によって違います。
- 神道型:棹石が細長く頭部が兜巾、つまり四角錐になっています。一重台が多いです。
- 位牌型:棹石が角柱ではなく、位牌のようにやや奥行きが薄くなります。
- 板碑型:位牌型よりさらに薄くなり、背面を加工しない場合が多いです。鎌倉時代に多く造られています。
- 笠付型:角柱型の豪華版で、棹石の上に笠を置きます。歴史的には歴史的には角柱型よりもこれの方が古く、笠塔婆の棹の太くなったものです。
洋墓墓石について
明治維新以降、外国人が多く日本に滞在するようになってから造られたものです。
この型の墓石が数多く造られるようになるのは公園墓地が開設されてからで、外国人墓地の記念碑的な形のものに比べると、和魂洋才という感じの日本的洋型です。
最近は小さな墓地ではなく、面積の大きな墓地にも多く洋型墓石が据えられるようになりました。
五輪塔
古代インドのバラモン思想の中に五大思想というものがありました。それが仏教にも混入し、一種の宇宙観を作りました。この五大というのは地・水・火・風・空の五つをいいますが、この世に存在する全てのものはこの五要素を源として生まれたり滅んだりしているというものです。
五大を人間の「肉体」に当てはめて五大成身ともいいます。
地が骨、水が血液、火が熱、風が呼吸、空を生命そのものとします。
人間の体を五体といいますが、これも遠くは五大に由来しているものでしょう。
この五大の思想が五輪塔の型を生み出す、思想的基盤になっています。
平安時代に弘法大師空海が中国から真言宗を伝え、密教的な行事の中で五大から五輪が創造され、日本的な石塔の形が誕生したのです。
五大とは人そのもので、五輪塔は即身成仏=往生の形と考えられているので、死者そのものを現しているともいえます。
いずれにしても、仏を供養し、その功徳を死者に回向することは墓石の形に関わらず、同じことです。
五輪塔は、五大の種子(字)を示す梵字を前後左右の四面に、それぞれ修行の階段に応じて彫刻することが多く、正面を発心門、左側を修行門、後を菩薩門、右側を涅槃門(ねはんもん)といいます。
この石塔は鎌倉時代に最も多く作られ、その時代のものが雄貴で安定した姿を持つことから、今でもこのころの型を模して造られることが多いです。
五輪塔の形と呼び名
上から宝珠を空輪、半月を風輪、笠を火輪、塔身を水輪、基壇を地輪と呼びます。
現代ではこの下に、更に一重あるいは二重の台をつけることが多いです。
標準的な五輪塔の他に基壇の部分を細長い角柱にする足長形の五輪塔もあります。
これは笠塔婆の影響によるものだと思われます。
また細長い板石の頭部に切り込みを入れて、五輪をかたどる、塔婆供養の木のものを石にしたような五輪塔もあります。
今回の記事はここまでとなります。
次回は残りの三つのお墓の形について紹介と説明しますので、是非石福石材のブログでお墓の知識を付けてもらえたら弊社も嬉しく思います。